コンシューマゲーム機

コンシューマ機というと、やはり元祖とされているのはファミコンでしょうか。
カートリッジを差し替え、電源を入れれば簡単にTVゲームが楽しめる。
それこそ小学1年生未満の私にでもカンタンに遊ぶ事が出来ました。
ところが、正直なところ、私も年なのか最近のゲーム機にはついていけていません。
たかがゲーム機の、いったい何がそんなに難しくなったのか?
記憶領域と処理能力の拡大がまずあげられるかと思います。
ことの始まりはPCエンジンのCD-ROM2あたりからでしょうか。
データセーブの為のバックアップRAM領域を持ち、ゲームのメディアにはCD-ROMが使用され始めました。
当時、ファミコンはカートリッジ内にバックアップRAMを内蔵していたので、カートリッジさえ持ち運べば、どこででもセーブデータが読み込み可能でした。
ところが、これを本体内に保存できるようにした為に、メモリ領域の空き容量を気にしたり、持ち運ぶ為に別のメディアへと転送する必要が出てきました。
これは現代の旧次世代機などでも取り入れられている仕組みです。
ハードウェアの規格が統一化できるというメリットは大きいのですが、操作が煩雑になるデメリットは否めません。
最近のお子様は発育が早いので、このぐらいの操作は朝飯前なのかもしれませんが。。。
記憶容量の拡大、CDやDVDなどを採用することでマスクROMの時代には考えられなかったような広大なROM領域を使用できる時代になりました。
最近ではCD何枚組みとかいう恐ろしいゲームも発売されています。
ゲームの楽しさと言うのは、はたして容量に比例しているのでしょうか。
答えは明らかに否です。
容量を増やせば増やすだけ、製作費用は嵩みます。
と言う事は、資金力の無いメーカーは、容量負けしない為に嵩上げする努力をする以外に他メーカーに追いつく術がなくなります。
特に、アドベンチャーやロールプレイングにこの傾向が見られます。
嵩上げされたゲームは、練りこみも調整も中途半端で、頭でっかちのまま納期ぎりぎりに発売にこぎつけます。
マスクROM時代にも、2メガ搭載!とかいう売り文句が流行っていた時代もありました。
ロクなゲームがなかったと記憶しています。
次世代機、次世代機と騒ぐのは良いのですが、コピー機とFAXの複合機のようなものではないのですから、なんでもかんでも機能をごった煮にして、本来のゲームを楽しむ部分をうやむやにすることだけはしないでほしいなーと、内心思っております。
ワンダと巨人は、ヴィジュアル負けしてない良いゲームでした。
こういう良作が増える事を願っていますが。。。
焼き直しゲームで成り立っている次世代業界に、少しでも楽しい風が吹く事を祈りって。
それはさておき、なぜかファミコン版のシャドウゲイトが3本ほど出てきました。
仕入れた覚えは無いので、、、過去に個人で所持していたものかと思います。
こんなゲームをなぜ3本も・・・?
自分自身が不思議でなりません。
と、いいつつも、ゲームボーイ版や64版を買いそうになっていた事もありました。
ではまた。

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